想いを届ける優しさ【#5】─振り返りの午後─

想いを届ける優しさ【#5】─振り返りの午後─

週末の午後。
街の喧騒から少し離れたカフェに、紗季は一人で座っていた。
窓の外には、冬の陽射しが斜めに差し込み、
通りを行き交う人々の息が白く溶けていく。

テーブルの上には、
いつものノートと温かいカフェラテ。
手帳のページをめくるたびに、
一つひとつの言葉が当時の心を呼び起こしていく。

「焦ってたなぁ、あの頃の私。」

小さく笑いながら呟いた声が、
カップの湯気に紛れて静かに消えていった。

“どうして返信がこないの?”
“嫌われたのかもしれない”
“私、何か間違えたのかな”

──あの頃は、
彼の沈黙が「拒絶」に思えて苦しかった。
けれど今は、
その沈黙の中にも“事情”や“思い”があることを知っている。

「ちゃんと、成長したよね。」
ページの余白に小さくそう書き足す。

ノートを見つめながら、
心の奥であたたかいものが静かに満ちていくのを感じた。

この数か月で、
“好きな人の気持ち”を追うだけの恋から、
“想える自分を受け入れる”恋へと変わっていた。

ラテをひと口飲み、
カップをそっと置く。

「焦らず、比べず、
この恋がくれた時間をちゃんと味わおう。」

その言葉を心の中で反芻したとき、
カフェのBGMが、やさしく次のページをめくるように流れ出した。


ノートのページをめくると、
最初の頃に書いた乱れた文字が目に入った。

「どうして返信がこないんだろう」
「嫌われたのかな」
「何を送ればいいのか分からない」

その字は、まるで泣きながら書いたみたいに震えている。
ページの端には、
深夜の時間を記す小さなメモ──

“2:14”

「あぁ、あの夜か……」
紗季は思わず笑ってしまった。
あのときの自分は、
スマホを抱えたまま何度もため息をついていた。

彼の既読がつかないたびに、
心臓が小さく跳ねて、
寝返りを打つたびに
“なんで?”という言葉が浮かんだ。

だけど今、あの夜を思い出しても苦しくはない。
むしろ、愛おしさに近い感情がある。

──あの不安があったから、
“相手の沈黙にも理由がある”ことを学べた。

ふと、占い師の言葉がよみがえる。

「連絡が減るとき、
相手は“気持ちが離れた”のではなく、
“余裕がなくなった”だけのこともあります。」

その言葉を聞いた瞬間、
肩の力が抜けた自分を今でも覚えている。

「そうだったね。
あの一言で、私の世界は変わったんだ。」

ノートを閉じると、
カップの中のラテはすっかり冷めていた。
でも、胸の奥は少しだけ温かかった。

焦りと不安の夜を越えて、
“理解する恋”がはじまったのだと、
静かに思えた。


ページをめくると、
そこには色とりどりの線で描かれたマインドマップが現れた。
中央には「新」と書かれ、
そのまわりを囲むように「焦り」「やりがい」「不安」「自信」──
彼の心を想像して描いた、あの図だ。

紗季は懐かしそうにそのページを指でなぞる。

「そうだ、あの頃“何もできない”って思ってたな。」

連絡が減って、何をしても届かないように感じていた。
だけど占い師に言われた言葉が
彼女の心を少しずつ変えていった。

「“何もできない”ときこそ、
“信じて見守る”ことが行動です。」

その言葉をノートに書き留めた日、
泣きながらページを閉じたことを思い出す。
あのとき初めて、
“待つことも誰かの支えになれる”と気づいた。

夜中、SNSを開いて彼の仕事投稿を見るたびに、
「今日も頑張ってるんだね」
そう心の中でつぶやいていた。

たとえ彼に届かなくても、
その言葉を思う自分の中に
確かに優しさがあった。

「“何もしていない時間”が、
私を一番強くしてくれたんだね。」

小さく微笑んで、紗季はページを閉じた。

見守る勇気。
それは、行動を抑えることではなく、
“想いを信じる力”だった。


ページの中央に、大きく書かれた文字がある。

「私は、愛する力を持っている。」

紗季は、その一文を見つめながら、
胸の奥に静かな熱を感じていた。

あの頃、
「どうして報われないの?」と
自分を責めてばかりだった。
好きなのに、うまくいかない。
待つしかできない自分が、弱く思えて仕方なかった。

でも、あの夜の鑑定で、
先生が静かに語った言葉が
彼女の心を変えた。

「報われるかどうかは結果です。
けれど、信じ続けられることは“心の姿勢”なんですよ。」

その瞬間、
“恋をしている自分”を初めて肯定できた気がした。

彼を想うことは、
誰かに評価されるものじゃない。
彼の反応がどうであれ、
自分の中にある優しさや誠実さは、
確かに“愛”として息づいている。

「私は、“愛される”ことより、
“愛せる”ことを選べるようになったんだ。」

その言葉をノートに添えると、
心の奥に、
じんわりとした温もりが広がっていく。

信じることは、我慢ではない。
それは、自分の想いを疑わない強さ。

──あの夜から、
紗季の中で“恋を支える光”は静かに育っていった。


ノートの後半をめくると、
一枚のページに柔らかな筆跡で書かれた三行のメッセージがあった。

「最近忙しそうだね。」
「無理しないでね。」
「寒くなってきたね。体調崩してない?」

あの夜、何度も言葉を見直して、
「これなら彼の心を重くしない」と思えた瞬間の呼吸を、
今でもはっきり覚えている。

“伝える”ことが、こんなにも勇気を要するなんて、
当時の紗季は知らなかった。

でも、そのメッセージを送ったあと、
彼から返ってきた短い返信──

「ありがとう。ちょうど徹夜明けでクタクタだった。」

それを読んだ瞬間、
胸の奥がやさしく光った。

返事がうれしかったのではない。
“想いがちゃんと届いた”ことが、何よりうれしかった。

「押す」でも「引く」でもなく、
ただ“寄り添う”という選択。

その小さな行動が、
今まで積み重ねてきた「理解」「信頼」「見守り」を
すべて言葉に変えてくれた気がした。

紗季は微笑んで、
ページの余白にそっと書き足す。

「言葉は、思いやりを運ぶ橋。」

その一文を見つめながら、
彼女の心は静かな充足感で満たされていった。


ノートを最後のページまでめくると、
そこには、過去の自分の足跡が
ひとつの物語のように並んでいた。

「焦り」
「不安」
「信じる」
「寄り添う」
──そのどれもが、確かに“恋”の中で育った感情。

紗季は指でページをなぞりながら、
静かに微笑んだ。

「このノート、最初は“彼との記録”だったのに、
気づけば“私の成長日記”になってるね。」

声に出すと、
少し照れくさくて、でもあたたかかった。

思えば、彼の返信を待つ時間も、
SNSを見つめていた夜も、
すべてが“自分と向き合う時間”だった。

恋は、相手の心を知ることから始まる。
でも本当に大切なのは、
その過程で“自分の心”を知ることだったのかもしれない。

紗季は窓の外を見やる。
陽が少し傾き、
ガラス越しの光がノートの上でやわらかく揺れている。

「焦らなくていい。
愛されようとするより、
愛を知ろうとすることが、私のアプローチだったんだ。」

その言葉を胸の中で繰り返す。

彼との距離はまだ変わらないかもしれない。
でも、心の距離は確実に変わった。

──“私は、ちゃんと歩いてきた”

ノートを閉じた瞬間、
その確信が、静かに彼女の中で息づいた。


カフェを出ると、
夕暮れの風が頬をやさしく撫でた。
オレンジ色に染まった空の下で、
人々がそれぞれの帰り道を歩いている。

紗季はノートをバッグにしまいながら、
その背中のひとつひとつを目で追った。
誰もがきっと、誰かを想い、
誰かに想われながら生きている。

ふと、信号待ちの間に空を見上げる。
日が沈む少し前、
淡い雲の向こうで星がひとつ瞬いていた。

「……あの人も、今ごろ空を見てるかな。」

そう呟いた声は、
寂しさではなく、静かな温もりを帯びていた。

この数か月、
彼に会うことも、特別な進展もなかった。

けれど
──その時間が確かに、
紗季を“やさしい人”に育ててくれた。

焦っていた自分。
立ち止まり、見守ることを覚えた自分。
信じる強さを手に入れた自分。
そして、優しさを言葉にできるようになった自分。

すべての瞬間が重なって、
今の彼女をつくっている。

「私はまだ、彼のことが好き。
でもそれ以上に、
“想える私”が好き。」

その言葉が胸の奥にすっと落ちたとき、
心の中の何かが、
やさしくほどけていくのを感じた。

“恋は叶うかどうかじゃない。
どう想い、どう生きるかで形を変える。”

夕暮れの街を歩きながら、
紗季は小さく笑った。
信号が青に変わる。

──彼を想った時間が、
 彼女自身の未来を照らす光になっていた。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次