想いを届ける優しさ【#2】─見守るという選択─

想いを届ける優しさ【#2】─見守るという選択─

あの日の返信から、もう二週間が過ぎていた。
「デザインの件、修正ありがとう」
その一言のあと、彼からの連絡はまた途絶えている。

通知欄を開いても、
そこに新の名前が並ぶことはない。
紗季は、もう以前のように頻繁に画面を確認することはやめていた。

でも、心のどこかではまだ——
「もしかしたら」という期待が小さく灯っている。

SNSを開くと、彼の投稿がいくつか更新されていた。
新しい案件の告知、撮影現場の写真、
「納期ギリギリだけど、やり切るぞ!」のコメント。
そこには、“忙しいけれど充実している”空気が漂っていた。

スクロールする指を止めて、紗季は微笑む。
「頑張ってるんだね」
つぶやきながらも、胸の奥で少しだけ痛みが走る。

“私のこと、もう思い出す時間なんてないのかも”
そんな弱音がふと浮かび、
慌てて頭を振る。
「だめ。今は彼を信じるって決めたんだから」

その言葉を、自分に言い聞かせるように繰り返す。
机の上のノートを開くと、
前回書いたページが静かに視界に広がった。

「信じること」
「責めないこと」
「待つこと」

三つの言葉の下に、小さなハートが描かれている。
その印を見つめるたびに、
心が少しずつ穏やかになっていくのを感じた。

けれど、穏やかさの裏側には、
やっぱり小さな寂しさが潜んでいる。
それは、誰にも見せられない、
恋をしている人だけが知っている“静かな痛み”だった。


昼休み、会社近くのカフェ。
いつもの席に腰を下ろすと、
向かいのテーブルから、同僚たちの楽しそうな声が聞こえてきた。

「彼がね、週末に旅行に連れてってくれたの!」
「えー、いいなあ! うちなんて最近LINEの既読も遅いのに〜」
「忙しいだけだよ、男の人ってそういうもん」

軽やかな笑い声が、BGMに溶け込んで響く。
紗季は笑顔を作りながら、カップを両手で包んだ。

自分も、少し前まではその輪の中にいた。
“彼から返信が来た”だけで浮かれて、
“既読スルーされた”だけで沈んで。
まるで感情が彼に委ねられているような日々。

けれど今は、少し違う。
静けさの中に、ほんの少しの余裕がある。
返事がなくても、
それだけで世界が終わるわけじゃないと分かっている。

でも——
心の奥のどこかでは、やっぱり寂しい。

「彼はいま、どんな顔で仕事してるんだろう」
「ちゃんと食べてるかな」

そんな小さな心配が、ふとした瞬間に顔を出す。

カップの底に残ったコーヒーを見つめながら、
紗季はスマホを取り出した。
SNSを開くと、また新の投稿がひとつ。

「撮影終了。もう少しで形になる。」

写真には、夕焼けの中で光るモニター。
忙しそうだけれど、どこか満ち足りた雰囲気。

「……頑張ってるんだね」
その言葉が自然に口からこぼれた。

以前の自分なら、“私だけ取り残されてる”と感じていたかもしれない。
でも今は、少し違う。
“彼の世界の中で、自分が静かに見守っている”という安心感があった。

たとえ何もできなくても、
彼の頑張りを知るだけで、心が少し温かくなる。
それが、彼を想うということなのかもしれない——


その夜。
紗季は仕事を終えて部屋に戻ると、
いつものようにノートを開きかけて、手を止めた。

“信じて待つ”
──そう決めたはずなのに、

心のどこかで小さく息切れしている自分がいた。
何も起こらない時間が、こんなにも長く感じるなんて。

「何か、間違ってるのかな……」
つぶやいた声が静かな部屋に溶ける。
気づけば、占いアプリを開いていた。
数日前の履歴から、同じ占い師のページをタップする。

こんばんは、紗季さん

画面越しの声は、あの日と変わらずやさしい。
それだけで少し胸が温かくなる。

“信じて待つ”って思ってたんですけど、
何も起こらないと、不安になってしまって……

そうですね。
“待つ”というのは、静かに見えるけれど、
本当はとても勇気のいる行動なんです。

行動……ですか?

ええ。
何もできない時間こそ、
“信じて見守る”という形で、愛が動いている。
それを選べる人は、強いですよ。

紗季は息をのむ。

“待つことが行動”
——その言葉が、心の奥に静かに響いた。

彼はいま、自分の目の前のことに全力で向き合っている時期。
その姿を、あなたが静かに見守ることで、
彼の心に“安心”が届きます。

……安心、ですか

そう。
“責められない場所がある”って、
人にとっては何より大きいんです。

言葉が、まるで灯りのように胸の中でともっていく。
“何もできない”と思っていた自分が、
ほんの少し報われたような気がした。

私にも、できることがあるんですね

もちろんです。
彼の世界を想像してあげてください。
その想像が、きっとあなた自身の心も癒してくれます。

通話を終えると、
紗季は深く息を吸い込んだ。
窓の外の夜空が、さっきよりも少し明るく見える。

ノートを開き、ページの上に小さく書き留める。

「見守ることも、愛のかたち。」

ペン先が紙を離れた瞬間、
彼女の中で“何もできない時間”が、
少しだけ意味を持ち始めていた。


週末の午後。
柔らかな日差しが差し込む窓辺で、
紗季はノートとカラーペンを机に並べた。

ページの中央に、ゆっくりと一文字書く。
「新」

その名前のまわりに、円を描くように枝を伸ばしていく。
まず浮かんだのは、最近のSNS投稿。

「納期ギリギリ」
「撮影現場」
「新しい案件」

それぞれの言葉の横に、小さく想像を書き添える。

「焦り」
「責任」
「やりがい」
「不安」

一つひとつの線を描くたびに、
心の中で“彼の今”が少しずつ立体になっていく。

「この写真を投稿したとき、
きっと眠れない夜を過ごしてたのかもしれない」
「でも、それでも頑張ってる姿を見せたかったのかも」

ペン先が動くたびに、
彼の心に寄り添うような静けさが広がっていく。

そして、最後に一本の枝を描いた。
そこに書いたのは──

「私ができること」

枝の先に、ゆっくりと言葉を添える。

「応援」
「気遣いの言葉」
「信じて待つ」

それらを並べ終えると、
ページ全体がまるで“心の地図”のように見えた。

何もできないと思っていた時間が、
こんなにも優しい形に変わるなんて。

紗季はノートを閉じ、両手で包み込む。
胸の奥が静かに温かい。

「彼の世界の中に、ちゃんと私がいる」
──そんな実感が、ふと心に灯った。


日が傾きはじめた頃、
紗季は仕事帰りのホームで電車を待っていた。
夕焼けの光がガラス越しに差し込み、
駅の構内を淡くオレンジ色に染めている。

スマホを取り出して、
ふとSNSの通知を確認する。
彼の新しい投稿はない。
でも、不思議と心は穏やかだった。

ホームのベンチに腰を下ろし、
バッグからノートを取り出す。
あの日描いたマインドマップのページを開くと、
色とりどりの線が夕日の光を受けて柔らかく輝いていた。

「焦り」
「やりがい」
「不安」
「自信」
──彼の心を想像して書いた言葉たち。

それを指先でなぞりながら、
紗季は小さく息をつく。

「そっか……私、前よりもちゃんと彼を見てるかもしれない」

そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
“どうして返信がないの?”と責める代わりに、
“彼はいま何を感じてるんだろう”と想像できるようになっている。

それだけで、心の距離が少し縮まった気がした。

電車がホームに滑り込む。
風に髪が揺れ、夕焼けの光が頬を撫でる。

「見守るって、こういうことなのかもしれない」
呟く声は、自分の中にすっと落ちていく。

“何もしていないようで、
本当はちゃんと繋がっている。”

扉が閉まり、電車が動き出す。
窓の外に流れていく街の光が、
まるで彼の世界と自分の世界が、
同じ方向に進んでいるように見えた。


週の終わり、金曜日の夜。
仕事を終えた紗季は、家に帰るとソファに体を沈めた。
ふと、スマホの通知が光る。

開いたSNSの画面には、新の投稿がひとつ。

「無事納品。
支えてくれた人たちに感謝。
明日は久しぶりにゆっくり眠れそう。」

写真には、温かい光に包まれた作業デスク。
散らかった資料の隅に、
使い込まれたマグカップが映っていた。

紗季の胸の奥に、じんわりとあたたかいものが広がる。

──この数週間、
どれだけの時間を費やしてきたのだろう。

返事がなくても信じて、
見守ることしかできなかった日々。

でも今、彼が「感謝」という言葉を使っている。
その中に、自分もほんの少しでも含まれているような気がして、
自然と笑みがこぼれた。

投稿の「いいね」ボタンを押そうとして、
指が一瞬止まる。
“今はそっとしておこう”
そう思って、そっと画面を閉じた。

──その夜。
新の投稿の下に、一件のコメントが増えていた。

「頑張ってたもんね。お疲れさま!」

その短い言葉に、
「ありがとう」と彼が返信している。

紗季は、知らず知らずのうちに小さくうなずいた。
まるで自分がその「ありがとう」を
受け取ったかのような、
そんな不思議な温かさがあった。

窓の外では、街の灯りが瞬いている。
直接つながっていなくても、
想いは確かに届いている──
そう感じられる夜だった。


翌朝。
カーテンの隙間から、やわらかな光が差し込んでいた。
紗季はベッドから起き上がると、
机の上に置いたノートをそっと開いた。

昨日の夜の彼の投稿。

「支えてくれた人たちに感謝」
──その言葉がまだ、胸の奥で温かく響いている。

ノートの白いページを開き、
ペンを握る。
しばらく迷ったあと、静かに文字を書き始めた。

「待つことも、愛のひとつ。」

書き終えた瞬間、
胸の中にすっと風が通り抜けるような感覚がした。

これまでは「何もできない」と思っていた時間。
けれど、本当はその静けさの中で、
彼を想い続ける強さを育てていたのかもしれない。

“見守ること”は、何もしないことじゃない。
焦らず、責めず、
相手の時間を尊重すること。

それは誰にでもできることじゃない。
だからこそ、
今の自分を少しだけ誇らしく感じた。

窓を開けると、
朝の空気が頬を撫でた。
遠くで小鳥の声が響き、
街はゆっくりと動き出している。

「彼も今ごろ、また新しい仕事を始めてるのかな」

そう思うと、
不思議と心が穏やかだった。

紗季はノートを閉じ、その上に手を置いた。

「“何もできない”ときも、愛はちゃんと動いている。
それを信じることが、私の勇気なんだ。」

小さく微笑んで、ペンを置く。
その笑みはもう、寂しさからではなく、
静かな誇りから生まれたものだった。

──そして彼女の心には、
新しい一歩の予感が、静かに息づきはじめていた。


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