今できる100のこと、私たちの答え【#4】─共に築くリスト─

今できる100のこと、私たちの答え【#4】─共に築くリスト─

窓から差し込む朝の光が、ノートの上をやさしく照らしていた。

「今できる100のこと」
──ページの端には、
“お気に入りのコーヒーを淹れる”“深呼吸して一日を始める”
そんな言葉が並んでいる。

どのページも、少しずつ彩りを増していた。
以前のように「何をすればいいの」と立ち止まることはなくなった。
仕事の合間にカフェへ寄って、
新しい「できること」を一つ書き足す。
それが、彩花の日課になっていた。

ノートを閉じると、スマホの画面に蓮の名前が浮かんだ。
「今日もお疲れさま。こないだのカフェ、また行こうか。」
短いメッセージ。けれど、
その一文が心の奥にあたたかく残った。

彼と過ごす時間は穏やかだった。
リストの話もするようになり、
「これ、俺もやってみようかな」なんて笑ってくれることもあった。
そんな瞬間に、胸の奥がふわっと軽くなる。

けれど、同時に小さなもやも残っていた。
デートを重ねても、どこか“友達の延長”みたいな距離感。
手を繋ぐわけでもなく、帰り道も「またね」と軽く手を振るだけ。
「楽しかったね」と笑い合うたびに、
その先の言葉を飲み込んでしまう自分がいた。

夜、部屋に戻ってノートを開く。
“蓮と一緒にリストを考える”と書いたページを見つめる。
彼のために書いたつもりが、
いつの間にか“私たち”のページになっていた。

“この関係って、何なんだろう。”
“彼にとって私は、どんな存在なんだろう。”

胸の奥で、その問いが小さく膨らんでいく。

ページの隅に、そっと一行書き加えた。
「彼と向き合う勇気を持つ。」

ペンの先が静かに止まった。
インクが滲む。
小さな決意の証のように。


その週の夜。
ふとした静けさの中で、彩花はスマホを手に取った。
メッセージのやり取りは続いている。
でも、どれだけ会っても、
“関係の名前”だけが空白のままだった。

ノートをめくると、
「彼と向き合う勇気を持つ。」と書いたページが目に入る。
その言葉が、胸の奥で何度も反響する。

“勇気を出すって、どうすればいいんだろう。”
ページを閉じ、
前に使っていた占いアプリを開いた。

コール音のあと、あの優しい声が聞こえた。

こんばんは、彩花さん。
声の響きが、少し柔らかくなりましたね。

こんばんは。……最近、彼と会ってるんです。
一緒にカフェへ行ったり、リストの続きを考えたりしてて。
でも、なんか……はっきりしないというか。

関係は穏やかに続いているけれど、
“これから”が見えない、そんな感覚ですね。

はい。
彼のことは好きだし、楽しいです。
でも、“私たち”って言える関係なのか分からなくて。

少しの沈黙のあと、占い師は静かに言葉を継いだ。

彩花さん、“今できる100のこと”を覚えていますか?

はい。80個まで書けたんです。
彼も一緒に考えてくれたんですよ。

それは素敵ですね。
でもね、そのリストは、もう“あなたのためのもの”ではなくなりつつあります。

……え?

“今できること”というのは、
自分を整えることから始まり、
やがて“誰かと一緒に築くこと”に変わっていくんです。

つまり、あなたのリストは今、
“共に築くリスト”に変わり始めている。
それは関係が深まっている証ですよ。

共に築く……

ええ。
自分の世界を誰かと重ねるとき、
最初は不安も生まれます。
でも、“共有すること”は、“依存”ではなく“信頼”なんです。
あなたは今、信頼を学んでいる最中なんですよ。

彩花の頬を、温かい涙が伝った。
画面の向こうから聞こえる声が、
心の奥の“迷いの空白”をやさしく埋めていく。

……じゃあ、私が彼といる時間も、
“今できること”の一つ、なんですね。

そうです。
彩花さんが“誰かと一緒に何かを作る”とき、
それはもう、行動ではなく“関係”なんです。

通話を終えたあと、彩花はノートを開いた。
空白だったページに、ゆっくりとペンを走らせる。

「彼と一緒に見つける“私たちの今できること”。」

文字を見つめながら、
胸の奥で静かに何かがほどけていった。


その夜、ノートを閉じたあとも、
占い師の言葉が胸の奥で静かに響いていた。

「“共に築くリスト”……」

ページの余白に指を滑らせながら、
彩花は思った。
“私、彼と一緒に何を築きたいんだろう。”

スマホを手に取る。
何度も書いては消したメッセージの下書き。
けれど、今日は少しだけ違っていた。

「ねぇ、今度ゆっくり話せる時間ある?」

送信ボタンを押した瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
数分後、返ってきた返信。
「いいよ。日曜の夜とかどう?」

短い言葉の中に、
ちゃんと“受け取ってくれた”という温度を感じた。

──日曜。
夜のカフェはいつもより静かだった。
カウンター席に並んで座りながら、
二人の間に流れる沈黙が心地よくもあり、少し怖くもあった。

「この前、占いの人に言われたんだ。」
彩花が口を開いた。

「“リストって、自分のためのものから、
誰かと一緒に築くものに変わるときがある”って。」

蓮は少し驚いたように笑った。
「へぇ、いい言葉だね。彩花っぽい。」

「……ねえ、蓮はどう思ってる?
私たちって、どういう関係なんだろう。」

彼はマグカップを置き、
少しだけ考えるように息をついた。

「俺、正直……もう付き合ってると思ってた。」

「……え?」

「だって、毎週のように会って、
一緒にリストの続きを考えて、
それがすごく自然で、心地よくて。
“これが関係”なんだって、思ってた。」

彩花は息を呑んだ。
胸の奥に溜まっていたもやが、
ふっと形をなくしていくのが分かった。

「……私、ちゃんと聞けてなかった。
あなたの気持ちを確かめるのが怖くて。」

「俺も、ちゃんと伝えてなかったな。」

二人の間に、小さな笑いが生まれた。
同じページにようやく辿り着けたような、
そんな安堵が滲んでいた。

蓮がテーブルのノートを指さす。
「ねえ、この“今できる100のこと”、あといくつ残ってるの?」

「20個。」

「じゃあさ、残りは一緒に見つけようよ。」

その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなった。
“共に築くリスト”という言葉が、
現実の約束として目の前に立ち上がった瞬間だった。

彩花は小さく頷き、
ノートを開いて、新しいページに書いた。

「81. 私と蓮で一緒に未来を考える。」

ペンの跡が、柔らかく光を反射していた。


カフェを出ると、
夜の空気が少し冷たくて、頬を撫でた風に甘いコーヒーの香りが混じった。

「今日は話せてよかった。」
彩花がつぶやくと、蓮は柔らかく笑った。
「俺も。……なんか、ちゃんと始まった気がする。」

その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
“始まった”という言葉が、
彩花の心にゆっくりと沈みこんでいく。

駅までの帰り道、二人は特別なことは話さなかった。
けれど沈黙の中に、“これから”を共有している感覚があった。
ただ並んで歩くだけで、
焦りでも不安でもない“穏やかな緊張”がそこにあった。

家に着くと、彩花はコートを脱いで
まっすぐノートを開いた。

ページの真ん中に書かれた
「81. 私と蓮で一緒に未来を考える。」
その下に、ゆっくりとペンを走らせる。

「82. 自分の気持ちを正直に伝える。」

インクが乾く前に、
涙が一粒、ぽとりと落ちた。
悲しいわけじゃない。
“ようやく自分を信じられた”安堵の涙だった。

ページを閉じ、机の上に置いたノートを両手で包む。
“彼と出会ってから、私は少しずつ変わってきた。”
でも、変わったのは恋の形だけじゃない。
“私自身を見つめる目”が、少し優しくなったのだ。

スマホが小さく震いた。
画面には、短いメッセージ。
「今日はありがとう。また一緒にリスト考えよう。」

その文字を見た瞬間、
“未来”という言葉が、現実の温度を帯びた気がした。

窓の外、街の灯りが遠くで滲んでいる。
その光が、ノートの上に落ちて、
文字を静かに照らしていた。


“相手の気持ち”を知ることは、ずっと怖かった。
傷つくのが怖くて、曖昧なままでもいいと思っていた。
でも、怖さを抱えたまま一歩を踏み出すと、
世界の見え方が少し変わった。

「伝える」ことは、勇気がいる。
でもそれは、“関係を壊す行為”ではなく、
“本当の関係を始めるための行為”だった。

あの日、蓮の目を見て言葉を交わせた瞬間、
彩花は初めて“自分を信じる感覚”を味わった。
それは恋の喜びと同じくらい、
“自分という存在を認める静かな幸福”だった。

ノートに残された「焦らず、ひとつずつ。」という言葉は、
もう「努力の合言葉」ではなくなった。
今では“心を整える呼吸のようなもの”。

100個のリストは、
“やるべきこと”の集まりではなく、
“自分と、そして誰かと歩んでいく地図”になっていた。

もしかしたら、リストをすべて埋めることがゴールじゃないのかもしれない。
一緒に書き足していく、その時間こそが、
私たちの関係を動かしているのだと思う。

100が埋まる頃には、
きっとまた新しい“今できること”が見つかるはずだ。

彩花はそう思いながら、
ノートをそっと閉じた。
「焦らず、ひとつずつ。」
その言葉が、今日も静かに彼女の背中を押していた。


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