

朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
昨日、ノートの最後に書いた「今できる100のこと」。
ページを開くと、その言葉が新しい朝を呼んでいるように見えた。
「まずは10個くらいから、書いてみよう。」
そう呟きながらペンを握る。
だけど、すぐに止まった。
“何を書けばいいんだろう。”
「料理を覚える」
「貯金をする」
「早起きする」
──思いついたことを並べてみるけれど、
どれも“義務”のようで心が重い。
書けば書くほど、胸の奥がざわついてくる。
“なんか違う気がする。”
それでもページを埋めようと無理にペンを動かす。
「資格を取る」
「自炊を続ける」
「運動を始める」
努力の言葉ばかりが並ぶリストを見て、
ふと、ため息がこぼれた。
昨日まであんなに前向きだったのに、
今日はもう、心が萎んでいる。
「彼と前向きな関係を築きたい」って思ったはずなのに、
気づけば、“ちゃんとしなきゃ”が目的になっている。
ページの隅を見つめる。
まだ真っ白な余白が、やけに広く見えた。
“100個も書けるわけないよね。”
呟いた声が、自分でも驚くほど小さかった。
机の上のカップから、冷めたコーヒーの匂いが立ちのぼる。
“私、何をやっても中途半端だな。”
そんな言葉が頭の中でくり返される。
けれど、ノートを閉じようとした瞬間、
ふとあの日の夜を思い出した。
蓮と話して、自分の想いを言葉にできたあの日。
あのとき感じた、小さな達成感。
“あのときも、怖かったけど話せた。”
その記憶が、かすかな灯のように胸にともる。
「焦らず、ひとつずつ。」
そう呟いて、ノートの余白にその言葉を書き込んだ。
今日は書けなくてもいい。
でも、このページを開いた自分を責めるのはやめよう。
そう思えただけで、少しだけ肩の力が抜けた。
ページを閉じると、朝の光が少しやさしく見えた。
“100個”という遠い数字の向こうに、
まだ知らない“私”がいる気がした。
翌朝、昨日のノートをもう一度開いた。
ページの途中に途切れたままのリストが残っている。
「料理を覚える」
「貯金をする」
「早起きする」
──昨日はそこでペンが止まった。
このままじゃ私に書かされたリストになっちゃうよね。
「焦らず、ひとつずつ」
自分で書いたその言葉を見つめて、深く息を吸う。
“続き、書いてみよう。” そう思って、ペンを握った。
ほんの少し、心が静かになった気がした。
「貯金を続ける」
「資格を取る」
「運動を始める」
少しずつ、昨日の続きが増えていく。
文字が並ぶたびに、“自分を変えたい”という想いが
ほんの少しだけ形を持ちはじめた気がした。
仕事の合間にカフェへ寄っては、少しずつリストを増やしていく。
それが一日の習慣になりつつあった。
けれど、ページを見返すたびに、
どこかでため息が漏れた。
どの項目も“頑張ること”ばかりで、
心のどこかが置き去りになっている気がした。
「私、何を目指してるんだろう。」
ぼんやりとカップの中のラテを見つめる。
SNSを開くと、
「資格に合格しました!」
「彼と記念日旅行!」
そんな投稿がタイムラインに並んでいた。
胸の奥がじんわりと痛んだ。
“私は、まだ何もできていない。”
リストを増やしているのに、
自信よりも焦りが大きくなっていく。
夜、帰宅してノートを開く。
「30個まで書けた」とメモしてみたものの、
心は晴れなかった。
むしろ、“30個もあるのに満たされない”という
矛盾が胸に広がっていく。
ページをめくるたび、
「私、努力してるのに、どうして褒められないんだろう」
という声が心の奥から響いてくる。
その週の金曜、仕事帰りにカフェへ寄った。
久しぶりに蓮が店の前を通りかかり、
「偶然だね」と声をかけてきた。
少し話して、彼が笑うと、やっぱり嬉しかった。
「最近、何してるの?」
「うん、なんか“自分を変える100のこと”リスト作ってる。」
軽く笑って言うと、蓮は少し驚いた顔をした。
「真面目だな。彩花らしい。」
その一言に、微妙な温度が混ざっていた。
“真面目”って、褒め言葉?
それとも、“重い”って思われた?
笑って返したけれど、心の奥がざわついた。
“私、頑張ってるのに。”
店を出たあと、夜風にあたりながら呟いた。
家に帰り、ノートを開く。
「今日は蓮に会った」とだけ書く。
ペンの先が震えた。
“このままじゃ、私、また自信をなくしていく気がする。”
リストの空白を見つめながら、
彩花は小さく息を吐いた。
「何か、違うんだよね。」
その言葉が、
次に“誰かに話を聞いてほしい”と思うきっかけになった。
土曜の夜。
ノートを開いても、ページは真っ白なままだった。
30個まで書いた“今できることリスト”の続きが、どうしても浮かばない。
ペンを持つ手が重い。
「どうして、できないんだろう。」
小さくつぶやいた声が、静かな部屋に響いた。
最初は軽い気持ちで始めたのに、
気づけば“できない自分”を探すノートになっていた。
“やっぱり私、何をやっても続かない。”
その言葉を最後に、彩花はスマホを手に取った。
画面に並ぶアプリの中から、あの占いアプリを開く。
前回の履歴の中に、“あの声の人”の名前が見えた。
指が自然と動いて、通話ボタンを押していた。
コール音が三回鳴って、あの日と同じ、やさしい声が響いた。

こんばんは、彩花さん。お久しぶりですね。
あ……覚えててくれたんですね。



もちろん。前回、“今できることリスト”を作るって言ってましたよね?
はい。でも……30個くらいで止まっちゃって。
なんか、書いても意味あるのかなって思ってしまって。
占い師は少し笑って言った。



30個も書いたんですか? すごいじゃないですか。
え、全然すごくないです。100個って言ったのに、半分もいってなくて。



でも、“始めようと思ったこと”が、もうすでにすごいんです。
100個全部を埋めることが目的じゃないですよ。
……そうなんですか?



ええ。“今できること”って、行動だけじゃないんです。
“気持ちを整えること”“自分と向き合うこと”も立派な“できること”ですよ。
その言葉に、思わず黙り込んだ。
でも、そんなの書いても意味ない気がして……



意味、ありますよ。
彩花さん、ここに電話をかけてきたでしょ?
“話をしよう”と思えた、それ自体が“今できたこと”なんです。
心の奥が少し熱くなった。
……そんなことも、いいんですか?



もちろん。
たとえば“お気に入りの入浴剤を見つける”“夜はスマホを見ないで寝る”
そういう小さな選択が、自信の種になります。
自信は“できる自分”を増やすことじゃなくて、
“自分を認める瞬間”を増やすことから始まります。
その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれた。
自分でも驚くほど、静かに。



彩花さん、今日の“今できること”は何だと思います?
……わからないです。



“よく話をしてくれたこと”。
それを今日のリストの一番上に書いてください。
ゆっくりと頷いて、ノートを開いた。
“今日の私にできたこと”
その下に一行だけ書く。
「ちゃんと、話をした。」
文字がインクで滲んで、涙の跡が混ざる。
でも、ページはもう“空白”じゃなかった。
通話を終えたあと、静かな余韻が残った。
あの声がまだ耳の奥に響いている。
“自分を責める時間より、自分を受け入れる時間を増やそう。”
ペンをもう一度持ち直し、
その言葉をノートの端に書き足した。
「それも、“今できること”。」
日曜の朝、カーテン越しにやわらかな光が差し込んでいた。
いつもなら寝起きの重たい気分が残る時間。
けれど今日は、少しだけ空気が軽い。
机の上のノートを開く。
昨夜のページの一番上には、
「ちゃんと、話をした」
──あの言葉が残っている。
それを見ただけで、胸の奥に温かなものが広がった。
ページの下の余白に、ペンを滑らせる。
「お気に入りの入浴剤を見つける」
「寝る前にスマホを見ない」
「朝に深呼吸をする」
昨日、占い師が話していた“自分を整えること”を
ひとつずつ書き加えていく。
書くたびに、不思議と肩の力が抜けていった。
“これなら、今の私にもできるかもしれない。”
そう思えることが、ただ嬉しかった。
昼前、近所のスーパーで新しい入浴剤を手に取った。
ラベンダーの香り。
“これ、香り好きそうだな”
──ふと蓮の顔が浮かんだ。
でも、すぐに笑って首を振った。
「これは私のためのもの。」
そう呟いて、カゴに入れた。
夜。
湯船に浸かりながら、今日のことを思い出す。
“ちゃんと、話をした”
“お気に入りの入浴剤を見つけた”
“スマホを見ないで寝る準備をした”
たったそれだけのことなのに、
心がゆるやかに満たされていくのを感じた。
「これも“今できたこと”なんだよね。」
小さく呟くと、お湯の表面に波紋が広がった。
風呂上がり、ノートに新しいページを開く。
今日できたことを三つ書き出してみた。
たった三行のリスト。
でも、それが“100のこと”よりもずっと確かな気がした。
ページの端に、そっと書き添える。
「焦らず、ひとつずつ。」
ペンを置くと、胸の奥に静かな灯が残った。
“昨日までの私は、できない自分を数えていた。”
“でも、今の私は、できた自分を見つけられる。”
それに気づいた瞬間、
ノートの白いページが、未来のように輝いて見えた。
数日ぶりに、ノートを最初のページからめくってみた。
あの日、書けずに止まった“最初のリスト”がある。
文字の線が、どこか震えて見えた。
「料理を覚える」
「資格を取る」
「早起きする」
──あの頃の私は、“できること”を探すより、“できない理由”を数えていた。
ページを進めると、途中から文字の表情が変わっていた。
“お気に入りの入浴剤を見つける”
“寝る前にスマホを見ない”
“朝に深呼吸をする”
そのどれもが、私の中に小さな余白をつくってくれた。
“努力”のリストが、“日々を大切にする”リストに変わっていた。
それに気づいた瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。
ページの端に書かれたメモを見つける。
「焦らず、ひとつずつ。」
あの日の私が残した言葉。
あのときは励ましのつもりだったけど、
今読むと、未来から届いたメッセージみたいに思えた。
“焦らないでいいよ。”
“ちゃんとできてるよ。”
そんな声が、ノートの中から聞こえてくるようだった。
最近、蓮とのやり取りも少し穏やかになった。
「最近、元気そうだね」と言われたとき、
前みたいに心が波立たなかった。
彼の言葉に一喜一憂するより、
“私がどう在りたいか”の方に意識が向くようになった。
ノートを閉じて、深呼吸をする。
以前なら“まだ70個足りない”と焦っていた。
でも今は、“30個も見つけられた”と思える。
たぶん、私にとっての“今できること”は、
100個のリストを埋めることじゃない。
このノートを通して、
自分を大切にできる時間を増やしていくことなんだと思う。
机の上に置いたペンが、やさしい光を反射していた。
その光を見つめながら、
“できること”は、まだ無限にある気がした。
“行動”じゃなく、“私がどう感じて生きるか”。
その答えを見つけるために、
明日もまた、このノートを開こう。
朝の光が、カーテンの隙間からやさしく差し込んでいた。
いつものようにノートを開く。
昨日書いたページの端には、
「焦らず、ひとつずつ。」
その言葉の下に、淡く乾いた涙の跡があった。
ページをめくると、手書きの文字がぎっしりと並んでいる。
“お気に入りのコーヒーを淹れる”
“夜はスマホを見ない”
“深呼吸して一日を始める”
そのひとつひとつが、かつての自分にはなかった“やさしさ”だった。
ノートの最後のページに空白が残っている。
彩花は少し迷ってから、ペンを取った。
「“私を大切にできること”が、いちばんの“今できること”。」
そう書き終えた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
スマホが小さく震えた。
画面を見ると、蓮からのメッセージ。
「この前のカフェ、また行かない? リストの続きを一緒に考えたい。」
思わず微笑んで、返信の画面を開く。
「うん、いいよ。今度は一緒に100個目を見つけよう。」
送信ボタンを押したあと、
彩花はノートを閉じ、カーテンを大きく開けた。
朝の光が部屋いっぱいに広がる。
彼とまた向き合えるかもしれない──
でも、もう“彼がどう思うか”よりも、
“私がどう感じるか”を大事にしたいと思えた。
深呼吸をして、静かに呟く。
「焦らず、ひとつずつ。」
新しい一日が始まる。
その光の中で、彩花は少しだけ自分を好きになれた気がした。









コメント