今できる100のこと、私たちの答え【#1】─届かない想いの先で─

今できる100のこと、私たちの答え【#1】─届かない想いの先で─

──私、何なんだろう。
彼にとって、私はただの“都合のいい相手”なのかな。

胸の奥が、じわりと熱くなる。
言葉にした瞬間、涙が込み上げてきた。
三週間。
彼からの連絡が途絶えて、もうそんなに経つ。

最初の一週間は、「仕事が忙しいのかも」と思っていた。
二週間目には、「疲れてるんだよね」と自分をなだめた。
でも、三週間目の今、スマホの通知は何も変わらない。
既読のまま止まったトーク画面が、静かに冷えていく。

夜の部屋。
ノートパソコンの光だけが壁に滲んで、時計の針が淡々と進む。
無意識にSNSを開いた。
蓮のストーリーには、見慣れた友人たちと笑う彼の姿。
その笑顔が、いつもより少し遠く感じた。

「忙しいのかな」
そう呟いてみても、声に力がない。
自分でつくった“安心”が、指の間からこぼれていくみたいだった。

思い返せば、最後に会ったのは一か月前のカフェ。
小雨が降っていて、彼は傘を半分こちらに差し出してくれた。
「寒くない?」って笑う顔が好きだった。
そのとき、私はただ嬉しくて、
“また次も会える”と、何の疑いもなく思っていた。

だけど、あのとき言えなかった。
「私たちって、どういう関係なんだろう」って。
聞けば壊れる気がして、
聞かないまま、安心していたかった。

スマホを握る手が冷たくなっていく。
返信のないトーク画面を閉じ、
私は検索バーに指を滑らせた。
“占い 音信不通 彼の気持ち”

──誰かに、このもやもやを聞いてほしい。
そう思ったのは、初めてだった。


通話のコール音が三回鳴って、やわらかい声が耳に落ちた。

こんばんは。お話、ゆっくりで大丈夫ですよ。

言葉が喉の奥で絡まって、私は深呼吸を一度。

……三週間、連絡がなくて。彼とはアプリで出会って、一年半くらい。
月に一度は会っていたんですけど、最近は波があって。
昨日、SNSで友達と笑ってる彼を見て、なんだか、私だけ置いていかれてる気がして……

相手はすぐに結論を言わない。相槌と、短い合いの手だけが続く。

うん、うん……それは胸がざわつきますね。
彩花さんは、その“置いていかれた感じ”を、どこで一番強く感じますか?

どこで──
言われて初めて、体の中を探すみたいに考える。

夜、ベッドに入って、スマホを見たとき。
既読のまま止まってる画面を見て、心臓が少し重くなる感じがします。

ありがとうございます。場所と言葉で、ちゃんと説明できましたね。

褒められて、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。

彼のこと、嫌いではないですよね?

……はい。好きです。

では、質問をひとつ。
彼がどう思っているかではなくて、彩花さんはどうしたいですか?

受話器の向こうの空気が静まる。
心のどこかで、いつか誰かに問われる気がしていたのかもしれない。
私はずっと、彼の反応に合わせて自分の温度を決めてきた。

……彼と、未来を見たいです。けど、怖い。
はっきり聞いたら、終わるかもしれないから。

怖さは、守ってくれているサインでもあります。
無茶をしないようにね、と。

占い師は少し間を置いてから、言葉を選ぶように続けた。

カードでも、彼はあなたに好意的です。
ただ、彼はペースを崩すのが苦手。
だから、彩花さんが沈黙の空白に“意味”を盛りすぎてしまうと、苦しくなってしまう。

沈黙の空白。
私は、何度その空白に自作の台本を当てはめてきただろう。

連絡が来ない時間を、“関係が冷える時間”ではなく、
“自分の内側を温める時間”に変えてみませんか。

受け取った言葉が、胸の内側にゆっくり沈んでいく。

どうやって……?

まずは、“今の自分の気持ち”を、ノートに書き出してみましょう。
『悲しい』
『不安』
『腹が立つ』
『それでも好き』
──言葉を一つずつ、ジャッジせずに並べていく。

そして最後に、『私はどうしたいか』
を一行だけ書く。
短くていい。
『ちゃんと話したい』
『今は自分を整えたい』でも。

私はメモアプリを開きかけて、やめた。
ノートに、手書きで、がいい気がする。

……書けるかな。

書けない日があっても大丈夫。
そのときは、場所と時間だけ決めるんです。

『寝る前に5分、机に座る』
中身はゼロでも“座った”事実が積み重なれば、
心は少しずつ“ここは安全だ”と学びます。

安全。

その言葉の響きが、意外なくらいに沁みた。

占い師は、もうひとつだけ提案をくれた。

“彼に合わせる私”と“私に合わせる私”を、
ノートで分けて書いてみてください。

例えば、左ページに“彼に合わせる私”
──既読を何度も確認する、SNSを見て落ち込む。

右ページに“私に合わせる私”
──温かいお茶を入れる、10分散歩する、早めに布団に入る。

行動の温度を、比べてみるんです。

ページを分ける、という具体さが心地いい。
私はやっと息が深くなったことに気づく。

それから、これは覚えておいて。
“決める”のは、彩花さんです。

……はい。

彼の気持ちは影響します。
でも、あなたが何を大切にするかは、あなたにしか決められない。
連絡が来ないから価値が下がるわけじゃない。
今日のあなたが何を選ぶかで、明日の景色は変わります。

“景色は変わる”。
さっきまで、固定されたスクリーンみたいに見えていた未来に、微かな風が通った。

最後に、連絡について一つだけ。

はい。

“落ち着いたら送る”でいい。
今すぐ結論を迫らなくていいんです。
ノートが数日分たまって、『私は話したい』が自分の言葉として出てきたら、そのとき短いメッセージを。

『話せる時間ある?』
──それだけで十分です。

短いメッセージ。
それなら、私にもできるかもしれない。

通話の終わり際、占い師は静かに言った。

彩花さん、よく頑張っています。
まずは今夜、ノートを一行から始めましょう。
“私はどうしたい?” その問いだけで、今日は合格です。

通話が切れたあと、部屋の音が戻ってきた。
冷めたマグカップを両手で包む。
私は机の引き出しから、白いノートを一冊取り出した。
表紙を撫でると、紙のざらつきが指先に残る。

ペン先を置く前、心の中で一度だけ確かめる。
──私は、どうしたい?

ゆっくりと、最初の一行を書いた。
「私は、自分を大事にしたい。」


通話を終えたあと、
しばらく机の前に座っていた。
部屋の時計の音が、やけに大きく聞こえる。
静かだ。
本当に、静かすぎるくらい。

「まずは、書き出してみましょう。」
占い師の声が頭の奥に残っていた。
その言葉の余韻を追うように、引き出しの奥から白いノートを取り出す。
表紙をめくると、真っ白なページが私を見つめ返してくる。
“何を書けばいいんだろう”
ペンを握ったまま、しばらく手が動かなかった。

深呼吸をひとつ。
“悲しい”
そう書いてみた。
次に、“寂しい”。
“置いていかれた気がする”。
“嫌いになれない”。
文字を並べるたびに、心の中の音が少しずつ形になっていく。
どんな言葉を書いても誰も責めない。
それだけで、少し安心した。

ページの端が涙で波打った。
泣きながら文字を書くなんて、いつぶりだろう。
“彼が好き”
その一行を書いた瞬間、胸の奥の痛みがすっと和らいだ。
正直に言葉にするって、こんなに苦しくて、こんなに楽なんだ。

ペン先が止まり、しばらく天井を見上げた。
私は、彼の気持ちばかりを追いかけていた。
「彼はどう思ってるんだろう」「なんで連絡くれないんだろう」
そんな問いばかりをノートに刻み続けてきた。
でも、今は違う。
このページには、“私の気持ち”しかない。

最後に、占い師の言葉を思い出す。
──“私はどうしたい?”
ペン先をもう一度置く。
「自分を大事にしたい。」
その一行を、ゆっくり丁寧に書いた。

書き終えてページを閉じると、
心の中に小さな灯がともるようだった。
誰かに見せるためじゃない、
“自分のための言葉”を初めて書けた気がした。

その夜は、久しぶりにスマホを伏せたまま眠った。
夢の中で、彼の顔はぼやけていたけれど、
その代わり、私は笑っていた。


朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
目を開けた瞬間、昨日より少しだけ空気が軽い気がした。
スマホを手に取るまでの時間が、いつもより長い。
通知は、やっぱり何もない。
けれど、不思議と焦りはなかった。

机の上には、昨夜書いたノートが開いたままになっていた。
インクの跡が少し滲んでいて、
ページを見ただけで、自分の感情がそこに息づいているのがわかる。

「自分を大事にしたい」
その一行を、指でなぞる。
小さな文字だけど、確かに“私の声”だった。

コーヒーを淹れて、湯気の向こうをぼんやり眺める。
昨日までは、彼の既読時間や投稿の内容ばかり気にしていた。
けれど今は、
「今日はどんな服を着よう」「外に出てみようかな」
そんな小さな問いが浮かんでくる。

スマホを開いても、SNSの画面をすぐ閉じた。
代わりに、ノートをもう一度手に取る。
“彼に合わせる私”と“私に合わせる私”──
昨夜、占い師に言われた通り、ページを分けて書いてみることにした。

左のページには、
「既読を確認する」「SNSを見る」「反応がないと自分を責める」
右のページには、
「お気に入りの紅茶を淹れる」「音楽をかける」「外の空気を吸う」
書いてみると、右のページの方が、少しだけあたたかく見えた。
たったそれだけなのに、
心の中のバランスが少し整っていく気がした。

──私、いつも“誰かに好かれること”で自分の価値を測ってたんだ。
文字にしてみると、それがどれだけ疲れることだったか分かる。
“彼がどう思うか”よりも、“自分がどう感じるか”。
ほんの少し、世界の見え方が変わっていく。

カップの底に残ったコーヒーを飲み干す。
窓の外では、風に揺れる洗濯物が光を受けて揺れていた。
「今日も大丈夫。」
誰に聞かせるでもなく、口の中で呟いた。

スマホはまだ静かなまま。
でも、私はもう“待っているだけの私”じゃない。
この時間を、自分のために使える。
そう思えた瞬間、胸の奥で何かがふっと軽くなった。


夜。
またノートを開いた。
書くことが、少しずつ日課になり始めていた。
今日は特に大きな出来事もないのに、
不思議と心が穏やかだった。

ページをめくりながら、前の日の文字を見返す。
「自分を大事にしたい」
その下には、
「朝コーヒーを入れた」「散歩した」「SNSを見ずに寝た」
小さな出来事の積み重ねが、まるで自分を褒めるスタンプ帳みたいに並んでいた。

ペンを持つ手が自然と動く。
“いまの自分にできること”をいくつか書き出してみる。
「料理を覚える」「貯金する」「笑顔で挨拶する」「部屋を片づける」
ふと、頭に浮かんだ言葉があった。

──30歳までに、結婚したい。

唐突だった。
けれど、その言葉を見た瞬間、胸の奥が少しだけあたたかくなった。
“彼と”というより、“誰かと”人生を並べて歩む未来を、
自分の口から初めて想像した気がした。

私はページの隅に小さく、「夢」と書いた。
その文字を囲むように円を描く。
“この円を、少しずつ埋めていこう”
そんな気持ちが生まれる。

机の上のスマホが、静かに光った。
通知を見ると──蓮からだった。
「久しぶり。元気?」
たったそれだけのメッセージなのに、心臓が跳ねた。

けれど、不思議と焦りはなかった。
すぐに返信はせず、ペンをもう一度取る。
ノートの端に、一行だけ書いた。

「焦らず、私のタイミングで返そう。」

その一文を書き終えたあと、
彩花はペンを置き、窓を開けた。
夜風がカーテンを揺らし、
遠くで車のライトが流れていく。

──連絡が来なくても、私は私を見失わない。
そう思えるだけで、世界の輪郭が少しやさしく見えた。

ノートの最後のページに、こう書き足す。
「明日は“彼の気持ち”を考えてみよう。」

ゆっくりとページを閉じたとき、
彩花の物語は、静かに次の章へと動き出していた。


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