想いを届ける優しさ【#3】─信じる心の灯─

想いを届ける優しさ【#3】─信じる心の灯─

朝の光が、薄いカーテン越しに部屋へ差し込む。
紗季は洗面所の前に立ち、鏡をのぞき込んだ。

「なんか、ちょっと疲れてるな……」

寝不足のせいか、目の下のクマが少し濃い。
いつものようにメイクを整えながら、
自分の顔がどこか“頑張りすぎている”ように見えた。

ここ最近、彼──
新からの連絡はない。

仕事の忙しさも理解している。
それでも、心の奥には
「私のこと、もう興味ないのかな」
という小さな棘が、まだ残っている。

「信じて待つ」って決めたのに。
待つことを選んだ自分を誇りに思いたいのに、
ふとした瞬間、どうしようもなく不安になる。

スマホの画面を開いても、
メッセージアプリの通知は静かなまま。
指がそのアイコンに触れたところで、
紗季はそっと手を止めた。

「……ううん、今日は開かない。」

自分に言い聞かせるように、
スマホをテーブルの上に置く。

そのまま鏡に視線を戻すと、
映る自分がほんの少し寂しそうに笑っていた。

「この恋を信じたいなら、
まずは、自分を信じられなきゃダメだよね」

小さく呟いたその言葉が、
朝の空気の中で静かに消えていく。

鏡越しに見つめた自分の瞳の奥で、
何かがゆっくりと、また動き出そうとしていた。


昼下がりのオフィス街。
紗季は同僚の真帆と、いつものカフェでランチをしていた。
木のテーブルに並んだサンドイッチとコーヒーの香りが、
少しだけ気持ちをほぐしてくれる。

「そういえば、例のデザイナーさんとはどうなったの?」
真帆が軽い調子で聞いてくる。

紗季はストローを指で転がしながら、
「うーん……連絡は、あんまり取ってないかな」と答える。

「え? もう終わっちゃった感じ?」
「終わったっていうか……今は、“見守り中”って感じ。」
「見守り中?」
真帆の眉が少し上がる。

「前みたいに“なんで返してくれないの?”って焦るの、
やめたんだ。
今は、彼を信じて待ってる。」

そう言うと、真帆はカップを置いて、
少し考えるように目を細めた。

「……そっか。でも、信じるのも、けっこう疲れるでしょ?」

その一言が、思いのほか胸に刺さる。
「うん、そうだね。
“信じる”って、我慢とは違うけど……
ときどき、自分だけ止まってるような気がする。」

真帆は微笑んで、
「紗季って、優しすぎるんだよ」と言った。

優しい──
その言葉が、少しだけ苦く響く。

優しいって、強いことなのか、
それとも“自分を後回しにしてる”ことなのか。

カップの中のコーヒーを見つめながら、
紗季は心の中で小さく問う。

「私、これでいいのかな……」

カフェの窓から見える午後の光が、
テーブルの上のノートの角を照らしていた。
次に開くページには、
“自分と向き合う時間”が、もうすぐ訪れようとしていた。


夜。
残業を終えて帰宅した紗季は、
いつものように部屋の明かりをつけてバッグを置いた。
疲れた身体をソファに沈めると、
静寂だけが部屋を満たしている。

机の上にはノート。
けれど、今夜は開く気になれなかった。

「信じて待つ」
──その言葉を何度も繰り返してきたけれど、
心のどこかで、
“それでも報われなかったらどうしよう”という不安が
消えずに残っていた。

「……私の、この想いに意味はあるのかな」

小さな声が漏れた瞬間、
スマホの画面をタップしていた。
占いアプリを開くと、
あの日と同じ占い師のアイコンが光っている。

通話ボタンを押すと、
数秒後に、優しい声が耳に届いた。

こんばんは、紗季さん。
またお話できてうれしいです。

先生……私、やっぱり不安で。
彼を信じたいのに、
このまま想い続けていいのか分からなくて。

少しの沈黙。
そのあと、穏やかな声が続く。

紗季さん。
報われるかどうかは“結果”の話です。
けれど、あなたのしていることは、
結果ではなく“愛のあり方”なんですよ。

……愛のあり方?

誰かを想う気持ちは、
相手の反応に左右されるものではありません。
信じることを選んだその瞬間、
あなたはもう“愛を生きている”んです。

静かなその言葉に、
胸の奥がじんわりと熱くなった。

愛されることが目的じゃなくて、
想うこと自体が愛、ってことですか?

ええ。
あなたのその優しさは、
もう充分に誰かを照らしています。
まずは、自分がその光に包まれていることを
感じてみてください。

通話が終わるころ、
涙が頬を伝っていた。
悲しみではなく、どこか安堵に似た涙だった。

ノートを開き、震える手で一行書く。

「私は、愛する力を持っている。」

その言葉を見つめた瞬間、
心の奥にある小さな灯りが、
少し強く輝きはじめた気がした。


翌日。
少し早めに帰宅した紗季は、机の上にノートを広げた。
昨日、鑑定で言われた言葉がまだ胸の奥で響いている。

「彼が返信できない理由を想像してみましょう。
その隣に、“そのときあなたができること”を書いてください。」

静かな部屋の中で、ペンのキャップを外す音が小さく響いた。
白いページの真ん中に線を引き、
左に「彼の理由」、右に「私にできること」と書く。

まず書いたのは──
「仕事が詰まっている」
その隣に、すぐペンを走らせる。
「待つ」

次に、
「気持ちの余裕がない」
→「スタンプを送る」

そして、
「自分の立場を整理中」
→「一言だけ励ます」

ペン先が止まったとき、
心の中に静かな温度が広がっていた。
“彼の理由”を想像することが、
こんなにも自分を落ち着かせるなんて。

「私、ちゃんと“誰かを想う力”を持ってるんだ」
呟いた言葉が、自分を優しく包み込む。

ノートを見つめながら、
今までずっと「どうして返してくれないの?」と
“答えを求める恋”をしていたことに気づいた。

けれど今は、
“相手の中にある理由”を想像できるようになっている。
その変化が、何よりも大きかった。

ページの端に、もうひとつ小さく書き添える。

「私は、待つだけの人じゃない。
想って、考えて、選べる人。」

ペンを置いたとき、
心の奥に小さな自信の灯がともった。


朝の通勤電車。
いつものように、混み合う車内の隅に立ちながら、
紗季は車窓に映る自分の姿をぼんやりと見つめていた。

数か月前までの彼女なら、
スマホを握りしめ、
“既読”の文字に一喜一憂していたかもしれない。
でも今は、画面を開かなくても落ち着いていられる。

隣の座席では、若いカップルが肩を寄せ合って笑っている。
以前なら、その光景を見て胸が締めつけられた。
けれど今日は違った。
「あの人たちも、きっといろんな思いを抱えてるんだろうな」
そう思った瞬間、
心の中にあたたかい風が吹き抜けた。

会社に着くと、
エントランスで同僚とすれ違いざまに挨拶を交わす。
「おはよう、紗季。なんか、最近いい顔してるね」
「え、そう? 何も変わってないよ」
そう言いながら笑うと、
相手も「うん、でもなんか穏やか」と微笑んだ。

エレベーターに乗り込み、鏡に映る自分を見た。
そこには、ほんの少し前より
“柔らかい光”をまとった表情があった。

「他の誰かと比べる必要なんてない。
私は私のペースで、ちゃんと愛してる。」

心の中で呟いたその言葉が、
朝のざわめきの中で静かに響いた。

世界が急いで動いていても、
自分の時間は自分で選べる。
そう思えた瞬間、
肩の力がふっと抜けた。


その夜。
仕事を終えた紗季は、帰り道の途中でふと立ち止まった。
冬の空気が冷たく、指先が少し震える。
見上げた空には、透きとおるような星が瞬いていた。

街灯の下で、
ポケットからスマホを取り出す。
画面には、ずっと開いていなかったトークルーム。
最後のメッセージは、もう一か月前のもの。

「……元気にしてるかな」

小さく呟く。
その声は、自分に聞かせるように静かだった。

指が自然に動く。
新しいメッセージ欄に、ゆっくりと言葉を打ち込む。

「仕事大変そうだね。暖かくしてね。」

短く、でも心をこめて。
何度も読み返して、
トーンが重くなっていないかを確かめる。

送信ボタンを押す指が、一瞬ためらう。
けれど、胸の奥から声が聞こえた。

「私は、信じる力を持っている。」

静かに息を吸い込み、
指先でそっと“送信”を押した。

──数秒後。
画面の右下に、小さく「送信済み」の文字が並ぶ。

それだけのことなのに、
心の中に柔らかな波が広がった。
もう“返事を待つため”に送ったわけじゃない。
「この言葉が、彼の夜を少しでもあたためられたら」
それだけで十分だった。

家に着くころには、
冷たい空気の中にもどこか温かさを感じていた。

そして翌朝。
目覚ましの音に続いて、
スマホの画面が小さく光った。

新:
「ありがとう。今ちょうど徹夜明けだった。助かった。」

たった一言。
でもその短い文章の中に、
“彼の世界と自分の世界がまたつながった”
そんな確かな実感があった。

紗季は静かに笑った。
「おつかれさま。よく頑張ったね」
声には出さず、心の中でそうつぶやく。

それは、待つことの先に芽生えた、
“信じる愛”の最初の返答だった。


休日の朝。
窓から射し込む光が、
白いカーテンを透かして部屋にやわらかく広がっていた。

紗季はゆっくりとベッドから起き上がり、
机の上に置いてあったノートを開く。
昨夜送ったメッセージ、
そして今朝届いた彼からの返信が、
まだ心の奥にあたたかく残っていた。

「ありがとう。今ちょうど徹夜明けだった。」

その一言を何度も読み返しながら、
彼の疲れた顔、安堵した笑みを想像する。
そこに“愛してほしい”という欲よりも、
“彼が無事でよかった”という安らぎの気持ちがあった。

ページをめくると、これまでの自分の言葉が並んでいる。
「信じること」
「待つこと」
「見守ること」
そして昨日のページには新しく、
「私は信じる力を持っている」と書かれている。

その言葉をなぞりながら、
紗季はふっと微笑んだ。

「愛されることを願うより、
愛を与えられる自分でいよう。」

静かに呟いたその言葉が、
心の奥で確かな重みを持って響いた。

愛されるかどうかは、もう怖くない。
彼がどんな状態でも、
“想える自分”を信じられるようになったから。

外では、冬の風が木々の枝を揺らしている。
その音さえも、今の紗季には優しく聞こえた。

ノートの最終ページに、
新しい一行をゆっくりと書き込む。

「私は、愛する力を生きている。」

書き終えた瞬間、
胸の奥で小さく光が弾けたような気がした。

それは“報われる恋”を願う光ではなく、
“自分を信じる愛”が芽吹いた証。

紗季はペンを置き、
窓の外の空を見上げる。
その瞳にはもう、
迷いや不安ではなく、静かな確信が宿っていた。

──そして彼女の物語は、
「理解」から「再接触」へ。
静かな希望の続きを迎えるために、
新しいページがまた一枚、めくられていく。


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