今できる100のこと、私たちの答え【#6】─本音で向き合う日─

今できる100のこと、私たちの答え【#6】─本音で向き合う日─

週末の午後。
陽射しが柔らかく差し込むカフェで、彩花は窓際の席に座っていた。
テーブルの上には、一冊のノート。
かつて、孤独な時間の中で書き続けた“今できる100のこと”のノートだった。

ふと、先週カフェで蓮と交わした言葉を思い出す。
「今度は“私たちのリスト”を作ってみない?」
──あの日のあの言葉が、
今日、いよいよ“はじまり”になる。

“今できる100のこと”のノートのページを開くと、
インクが少し褪せた文字が並んでいる。
“焦らず、ひとつずつ。”
“お気に入りの入浴剤を見つける。”
“ちゃんと、話をする。”

どの文字も、あの頃の心の温度をそのまま閉じ込めている。

蓮がやってきて、向かいの席に腰を下ろした。
「まだ持ってたんだね、それ。」
「うん。私の原点だから。」
そう言って微笑む彩花の表情には、あの日の迷いはなかった。

蓮はページをめくりながら、ふと笑った。
「この“お気に入りの入浴剤”って、あのラベンダーの?」
「そう。あれ、私の“最初の前向きな選択”だったんだよ。」
「覚えてる。あの日、すごくいい香りがしてた。」

二人の間に、静かなぬくもりが流れる。
あの頃の“ひとりで頑張るリスト”が、
いつの間にか“誰かと過ごす時間の記録”になっていた。

彩花はノートを閉じ、深呼吸をした。
「このノートはね、私の“私を取り戻す物語”だったと思うの。」
「うん、わかるよ。彩花の文字、全部が少しずつ柔らかくなってる。」

少しの沈黙のあと、彩花が言った。
「だから今度は、二人の物語を始めたい。」

蓮が目を細めて笑った。
「“二人の物語”?」
「うん。“今、私たちができる100のこと”。」

その言葉を聞いた瞬間、
窓の外の光が少しだけ強くなった気がした。


「“今、私たちができる100のこと”か。」
蓮は、少し照れくさそうに笑った。
「それ、なんかいいね。君らしい発想だ。」

彩花も微笑んだ。
「これまでは、“私が変わるため”のリストだったけど、
これからは、“私たちが育っていくため”のリストにしたいの。」

蓮はしばらく考えたあと、
「じゃあ、まずはそのリストを書く“場所”から作らない?」
と提案した。

「場所?」
「うん。新しいノートとペンを、一緒に選ぼう。」

その言葉に、彩花の胸が少し高鳴った。
まるで“これから”のための儀式のように感じた。


週末、二人は駅前の文具店にいた。
静かな店内には紙とインクの匂いが漂い、
並んだノートの背表紙がやわらかい光を受けていた。

「どんなのがいいかな。」
彩花は棚に並ぶノートを指先でなぞりながらつぶやいた。

「シンプルなのがいいな。
でも、使い込むほど味が出るやつ。」

蓮がそう言って、濃紺の布張りのノートを手に取った。
表紙には金の箔押しで、“Life with Words”の文字。

「……これ、いいかも。」
「うん。なんか、始まりにぴったりな感じ。」

隣の棚で、彩花は一本の万年筆を見つけた。
半透明のボディに、薄くラベンダー色が差している。
「これ、あの入浴剤の色みたい。」

蓮が笑った。
「じゃあ、それにしよう。
 このノートと、そのペン。二人の未来を記す道具だ。」

レジに向かう途中、彩花はふと立ち止まった。
「ねえ、蓮。新しいノートって、ちょっと緊張するね。」
「そう? 俺はワクワクしてる。」
「うん、そうだね。私も、もう“怖い”より“楽しみ”の方が大きいかも。」

紙袋を手に店を出ると、
外の風が、冬の名残をわずかに含んで頬を撫でた。
その風が、新しい季節の訪れを知らせているように思えた。


二人は、その足でカフェへ向かった。
新しいノートと万年筆をテーブルに並べる。
真っ白なページを前に、
彩花は一呼吸して、ゆっくりとペンを走らせた。

1.本音で向き合う

インクが滲むように、
その言葉がページに沈んでいった。

蓮がその文字を見つめながら、小さく頷く。
「いいね。たぶん、それがすべてのはじまりだ。」

彩花はペンを置き、窓の外を見つめた。
“本音で向き合う”──
それは、言葉で相手を動かすことじゃなく、
相手の沈黙を、信じて待てること。
自分の気持ちをごまかさずに、受け止め合うこと。

その静かな覚悟が、胸の奥であたたかく灯る。


ページの一番上には、まだ一行だけの文字。

本音で向き合う

それを見つめながら、彩花は静かに息を吐いた。

蓮はカップを手にしながら、
「これから少しずつ、増やしていけばいいね。」と笑った。

「うん。でも、なんかね──
最初のこの一行が、全部の答えみたいな気がする。」

その言葉に、蓮は頷いた。
「本音で向き合うって、簡単そうで一番難しいよな。」
「そう。でも、怖がらずに続けたい。
たとえ沈黙があっても、ちゃんと見つめ合えるように。」

窓の外では、街路樹の若葉が春の光を反射していた。
光の粒が、ノートのページにも静かに降り注ぐ。

彩花はその光を指でなぞりながら、
「このノートが、どんな100個で埋まるんだろうね。」とつぶやいた。
「うーん、きっと、全部“ふたりの時間”になると思う。」
「そうだね。もし100個目まで書けたら、そのときまた一緒にノートを買いに行こう。」

「いいね。
そのときも、きっと彩花が“これがいい”って決めてくれるんだろうな。」
「どうだろう、次は蓮の番かもよ。」

ふたりの笑い声が、店内に小さく溶けていった。

ページの下の余白には、彩花がそっと一行書き足した。

“今できること”を重ねるたびに、未来が少し近くなる。

ペン先を置いたあと、
彼女はまぶしそうにカーテンの向こうを見つめた。

「焦らず、ひとつずつ。」
あの日の言葉が、ふたたび心に浮かぶ。
けれど今は、もう“自分を励ます言葉”ではなく、
“ふたりのこれからを包む言葉”として響いていた。

ページを閉じると、
万年筆のラベンダー色が光を受けてきらりと揺れた。
それはまるで、
二人でこれから描く未来の序章のようだった。


彩花はカップを両手で包みながら、
窓の外の光をしばらく眺めていた。

「昔の私なら、“何かを成し遂げなきゃ”って焦ってたと思う。
 でも今は、“どう感じながら生きたいか”を大切にしたいの。」

ページを指でなぞりながら、
心の奥でそっと言葉を紡ぐ。

“変わる”って、何かを手放すことじゃない。
今の自分を、そのまま受け入れていくことなんだと思う。

そして小さく笑って、
「この気づきが、誰かの背中をそっと押せたらいいな」とつぶやいた。


次のページは、まだ白い。
けれどその余白には、
たくさんの“これから”が静かに息づいていた。


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