

秋が深まる。
朝の空気が冷たくなり、街路樹の葉が色づき始めていた。
テニスの大会まで、あと一週間。
職場でもサークルでも、その話題ばかりが飛び交っている。
彼とは週末ごとに練習を重ねていた。
以前のような緊張はなく、自然に会話ができるようになっていた。
それでも、心のどこかで──
まだ踏み出せない一線がある。
ラリーの合間に彼が笑いながら言った。
「最近、いい表情してるよ。」
「そう? ちょっとは上達したかな。」
「うん、前よりずっと。楽しそうだし。」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなった。
──“楽しそう”
あのとき占い師に言われた言葉を思い出す。
「楽しめているあなたが、一番魅力的です」
でも、心の奥ではもうひとつの想いが膨らんでいた。
“私、ちゃんと気持ちを伝えたい。”
夜、練習から帰ってシャワーを浴びたあと、
鏡の前で髪を乾かしながら、
自分の顔を見つめた。
笑っているようで、少しだけ迷っている顔。
「今のままでも、いいのかもしれない」
「でも、このままでは、また後悔するかもしれない」
思考がぐるぐると回る。
けれど、心のどこかで小さな声が囁いていた。
“今の私は、もう待つだけの人じゃない”
その夜、久しぶりに占い師の番号を押した。

こんばんは。少しお久しぶりですね。
大会が近くて、練習も忙しくて……。
でも、それだけじゃなくて。
彼に、ちゃんと気持ちを伝えたほうがいいのか悩んでて。



そうですね。
あなたはずっと、彼に“わかってほしい”と願ってきました。
でも今は、“自分の気持ちをちゃんと伝えたい”に変わっていますね。
胸の奥に温かいものが広がった。



最初の頃に比べて、
もう“相手の反応”に心を揺らされていません。
今のあなたなら、きっと大丈夫。
その言葉は、恋を前に進めるためだけじゃなく、
自分を認めるための言葉にもなるはずです。
怖いけど……伝えてみたいです。



ええ。
結果よりも、その勇気があなたを自由にしますよ。
大会当日。
朝から空が高く晴れていた。
冷たい風に、コートの砂がふわりと舞う。
試合が始まる前、彼と軽く打ち合った。
「緊張してる?」
「うん、少しだけ。」
「大丈夫。今日の君なら、きっといいプレーできるよ。」
その言葉に、静かに頷いた。
試合が進むにつれて、緊張は不思議と消えていった。
ボールを追うたび、風を切る音と心拍がひとつになっていく。
“今、私、生きてる”
──そんな感覚が全身を満たした。
結果は準優勝。
優勝には届かなかったけれど、心は満たされていた。
表彰後、夕焼けのコートで彼が近づいてきた。
「お疲れ。すごく良かったよ。」
「ありがとう。……ねえ、少し話してもいい?」
コート脇のベンチに並んで座る。
風が少し冷たい。
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「私、テニスを始めたきっかけ……実は、あなたなの。」
彼が驚いたようにこちらを見た。
「最初は、ただ話すきっかけがほしくて。
でも、いつのまにか本当に好きになってて……。
テニスも、あなたも。」
一気に言葉があふれて、息を整える暇もなかった。
彼は少し間を置いてから、
穏やかな声で言った。
「ありがとう。……正直、うれしいよ。
でも、今は仕事も大会も大事な時期でさ。
ちゃんと気持ちを返すには、もう少し時間がほしい。」
その言葉に、胸が締めつけられる。
けれど、涙は出なかった。
「うん。待つね。
でも、今日伝えられてよかった。」
その瞬間、風が少しだけ温かくなった気がした。
帰り道、空を見上げると、雲の間から星がいくつか顔を出していた。
心の奥が静かで、不思議と穏やか。
“彼に想いを伝える”ことが目的じゃなく、
“私の心をちゃんと使って生きる”ことができた──
そう感じた。
好きという言葉は、誰かをつなぎとめるための鎖じゃない。
自分の想いを確かめるための灯りなんだ。
私はもう、彼の返信を待つために生きていない。
この想いを伝えられた私を、誇りに思える。
夜、ノートを開いて最後のページに書いた。
「私は、誰かに愛されるためではなく、
誰かを想える自分でいたい。」
ゆっくりペンを置くと、胸の奥で小さく音がした。
──静かな満足の音。
好きと伝えた夜、
私は、恋の中でいちばん自由になれた。















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