彼の沈黙に恋を学ぶ【#3】─自分を信じる練習─

彼の沈黙に恋を学ぶ【#3】─自分を信じる練習─

カーテンの隙間から差し込む光が、まぶたの裏を温めている。

昨夜は彼と食事をした。テニスの話、仕事の愚痴、笑い声。
でも、帰り道に感じた胸の奥の空白が、まだ消えていない。

“次はいつ会えるんだろう”
そんな言葉が頭に浮かぶたび、また息が浅くなる。

目覚ましが鳴るより先に起きて、ぼんやりと天井を見つめた。

いい時間だったのに、どうしてこんなに不安なんだろう。
たぶん、私はまだ「彼の目にどう映っているか」で心を測っている。

キッチンでお湯を沸かしながら、昨日の会話を思い出した。

「次の大会、頑張ろうな」

その一言がうれしくて、怖かった。
もし大会が終わったら、私たちはどうなるんだろう。


仕事が終わって家に帰る。

疲れた体をベッドに投げ出し、スマホを開く。
彼からのメッセージはない。

テニスサークルのグループチャットには、週末の予定が並んでいた。

“私、また彼に合わせて予定入れてるな……”
そんな気づきが、じわりと胸を締めつける。

最近、練習がうまくいかない。
集中できず、ボールを打つたびにミスが増える。

「何やってるの、私……」

コートの隅で呟く声が、思ったより大きく響いた。

練習後の更衣室で、仲間が笑いながら話している。

「彼、最近仕事忙しいんだって」

その言葉に反応して、無理に笑顔を作る。

──私だけが、彼を特別だと思ってるのかもしれない。


その夜、また占い師に電話をかけた。
声を聞くだけで、少し安心する自分がいた。

こんばんは。今日は、どんな日でしたか?

練習でミスばかりしてしまって……。
彼の前でいいところを見せたかったのに、
上手くいかなくて、自分が嫌になります。

頑張りすぎている証拠ですね。
あなたが“うまくやらなきゃ”と思えば思うほど、
心が硬くなってしまうんです。

少し沈黙があった。
そのあと、ゆっくりとした声で言葉が続いた。

彼にとっても、あなたは“初めて教える生徒”のようですよ。
教える側も、実は学んでいる。
あなたが楽しんでいれば、彼もきっと心地よく感じます。

……私、楽しめてないかもしれません。

そうですね。
テニスも恋も、“勝ち負け”より“心地よさ”を大切にしてみてください。
それがあなたの魅力を取り戻す鍵になります。

通話が終わったあと、心が少し静かになった。

焦りの中で、ずっと自分を責めていた。
けれど、誰も“完璧な私”なんて求めていなかったのかもしれない。


翌朝、少し早起きした。

朝の光が差し込むリビングで、ノートを開く。
昨日の言葉が頭の中をよぎる。

“心地よさを大切にしてみて”

ボールペンを手に取り、書き始める。

「私が理想とする恋の形は?」
「彼にどう見られたい?」
「私が本当にしたいことは?」

最初は上手く言葉が出なかった。

けれど書いていくうちに、
“彼といる私”より“笑っている私”を想像している自分に気づいた。

コーヒーの香りが漂う中で、
ノートの文字が少しずつ埋まっていく。

涙が一粒、紙の上に落ちた。

悲しみではなく、安堵の涙だった。


その日から、15分だけ早く出社するようにした。

出勤前に立ち寄るカフェで、
窓際の席に座り、日記の続きを書くのが習慣になった。

「昨日の私、頑張ってた」
「今日の私は、少し優しくなれた」

たった数行でも、自分を褒める時間ができるだけで、
心が軽くなっていく。

ある朝、テニス仲間のひとりが言った。

「最近、雰囲気変わったね。明るくなった。」

何気ないその言葉が、胸の奥で静かに響いた。


週末、練習後の帰り道。
夕暮れのコートで、彼が笑いながら声をかけてきた。

「最近、いいプレーするようになったね。」
「そうかな? でも、前みたいに空回りしなくなったかも。」

「そのほうがいいよ。楽しそうなほうが、見てて気持ちいい。」

その言葉に、心がふっと温かくなった。

彼の笑顔が変わったわけじゃない。
でも、見え方が少し違っていた。

“私の努力を見てくれた”ことよりも、
“私が楽しめていることを認めてもらえた”気がした。


帰宅して、ノートを開く。
今日のページに、こう書いた。

「私は、“できる私”じゃなくて、“笑っている私”を好きになりたい。」

その瞬間、心の中で小さな音がした。

──カチリ。

何かが、ひとつ噛み合ったような音。

もしかしたら、私は“彼に認められる私”を追っていたのかもしれない。

でも、いまは違う。
“私を認められる私”を、やっと見つけ始めている。


ベランダに出ると、夜風が頬を撫でた。
空には三日月。
小さな光だけど、確かにそこにある。

「焦らなくていい。私は、私のペースで進む。」

そう呟くと、心の中の不安が少しずつ薄れていった。
返信を待つ夜から、
“自分の声を聴く夜”へ。

明日、また新しい朝が来る。
きっと私は、また笑える。


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