彼の沈黙に恋を学ぶ【#2】─少し近づいた距離─

彼の沈黙に恋を学ぶ【#2】─少し近づいた距離─

朝、目覚ましの音が鳴る前に自然と目が覚めた。
体が少し軽い。昨日の筋肉痛が、なぜか嬉しい。

顔を洗って鏡を見ると、目の奥の濁りが少し薄れた気がした。

玄関を出ると、秋の風が頬を撫でた。
空気が澄んでいて、少し冷たい。

「今日もテニス頑張ろう」

そう口に出すと、ほんの少し胸の奥が温かくなる。

仕事の合間、机の上のスマホに通知が光った。

──彼からのDM。

「テニス、頑張ってるね」

短い一文だったけれど、心臓が跳ねる。
返信を打つ指が震えた。

「ありがとう! 今度大会があるんだ」

そう送信してから、またスマホを見つめてしまう。

画面が暗くなっていく時間が、少し怖かった。


夜になっても、返信は来なかった。
既読すらつかない。
でも、彼のSNSには「仲間と夜練!」の投稿。

思わずスクロールを止めた。
胸がちくりと痛む。
どうして私には、何も返してくれないんだろう。

──それでも、心のどこかでわかっている。

彼にとって私は“テニス仲間のひとり”でしかないのかもしれない。

ため息をつきながら、ノートを開いた。

1話の最後に書き留めた「私がどうありたいか」という言葉。
まだ答えは出ていない。

でも、少しずつ見えてきたものがある。

「私は、ちゃんと彼と向き合いたい。」
その気持ちだけは、確かだった。


夜、あの占い師に再び電話をかけた。
声を聞いた瞬間、少しだけ呼吸が深くなる。

こんばんは。またお話しできてうれしいです。

彼からDMが来て……でも、続かなくて。
少し期待してしまって、また落ち込んでしまいました。

その気持ち、よくわかります。
彼も少しだけあなたを気にしているようですよ。
でも、まだ“恋愛”という形では見ていないかもしれませんね。

やっぱり……そうですよね。


ため息交じりに言うと、彼女の声が優しく続いた。

あなたが楽しそうにしている姿に、彼は安心しているんです。
だから、焦らず“共有”を意識してみてください。
彼が好きなテニス──
それを、あなた自身が楽しめているかどうか。
そこが鍵ですよ。

言葉が胸に響く。

私は“彼の気持ち”ばかり気にして、
“自分の気持ち”を置き去りにしていたのかもしれない。


翌日、昼休みに職場の同僚から「SNS見たよ、頑張ってるね」と声をかけられた。

照れながらも嬉しかった。
その言葉がきっかけで、またひとつ投稿をした。

ラケットとボールの写真に、
「大会に向けて練習中。目指せ優勝!」と短いキャプションを添える。

その夜、通知が鳴った。

──彼から「優勝狙うの? すごいじゃん!」というコメント。

まるであの日のDMの続きを書くように、軽い調子だった。
でも、その一言が胸の奥で灯をともした。

勇気を出して返信する。

「ありがとう! 本気で練習してるんだ。今度一緒に練習してくれる?」

少しの間、既読がつかずに心臓が跳ねる。
そして、

「いいよ。今週末どう?」

その短い文字が、画面の向こうから温度を運んできた。


週末、彼が教えてくれることになった。
緊張で朝から何も喉を通らなかった。

コートに立つと、太陽が少し眩しくて、
ラケットを握る手が汗で滑った。

「力入りすぎ。もっとリラックス。」

そう言って彼が笑う。
その声が、心の奥に染みていく。

ボールを打つ音がリズムになって、
ふたりの距離が少しずつ近づいていく。

彼の指先が、フォームを直すために軽く触れた瞬間、
呼吸が止まった。

「うん、その感じ。」
彼の笑顔が目の前にある。

その日、練習のあとにご飯に誘われた。

お互いの話をゆっくりして、
気づけば閉店の音が聞こえていた。


帰り道、駅のホームで電車を待ちながら、
スマホの画面を眺める。

彼の横顔が何度も頭の中に浮かんで、
胸が少し痛い。

“楽しかった。また会いたい。”

そう思う気持ちと同時に、

“これ以上期待してはいけない”という声も聞こえる。

夜風が髪を揺らした。
それでも──

今日は、ちゃんと笑って帰れる気がした。


「好きだから不安になる」

それは、誰にでもあること。

でも、好きな人の笑顔を見て、
自分も笑えるようになったなら──

それだけで、恋はもう“前に進んでいる”。


帰宅して、ノートを開く。
今日のページに、こう書いた。

「私は、彼を通して“私の時間”を取り戻している。」

返信が来ない夜もある。
けれど、もう“待つだけの私”ではない。

次に会う約束があるだけで、
未来に向かう風の音が聞こえる。


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